「『孔明のヨメ。』で
徐庶の偽名の「単福」、読みが「たんふく」となっていますが
正しくは「ぜんふく」では?」
上のようなお問い合わせが編集部経由でいくつかありました。
一度まとめて書いておいた方がいいかな、と思いましたので
ブログに書かせて頂きます。
回答は3種類用意しました。
お好きなところをご覧下さい。
<やわらかく知りたい方へ>→すぐ下をご覧下さい
<より詳しく知りたい方へ>→「続きを読む」を押して下さい
※超長いよ!!!
<作家の視点から>→<より詳しく…>の下の方をご覧下さい
※さらに長いよ!!!
<やわらかく知りたい方へ>
近年の三国志作品から「ぜんふく」の方が
馴染みがある・正しいと感じる方も多いでしょうし、
現在そちらが通例になりつつありますね。
ですが『孔明のヨメ。』では
「単家(たんか/権勢の無い家)の出」という要素と
「福(改名する前の名。親からもらった名前)」とを掛け合わせ
「たいした男じゃないよ、単なる福だよ」という意味の偽名とし
読みを”単家”からそのまま引用して「たんふく」という
読みにしました。
月英たちの時代の中国語(上古音)を調べてみても
「ぜん」というより「たん」に近い音のようなので
”じゃあよかろう”と判断してこれを採用しています。
(古代中国語を専門で研究されている方
(Mag462さん/ ツイッターアカウント@Zyengio)から、
この判断は適切では無いというご指摘を頂きましたので
この部分は削除いたします…8/10追記・8/13お名前追加)
ツイッター上で頂いたお話をまとめると
「上古中国語は周代から精々が前漢代が範囲で、
三国代は中古中国語のがよっぽど近く、
押韻や音訳などの記録を見ても三国代は中古の方が
かなり近い(同じではない)様子。
全てを中古で考えるのも不適当ではありますが、
上古で考えてしまうよりはまだいい」
とのことです。(8/13加筆)
※ただ、
「三国志検定」などで「一般に単福は何と読むか?」と聞かれたら
「ぜんふく」と答えた方が良いと思います。
「たんふく」という読みは『孔明のヨメ。』の
創作上の設定として、お楽しみくださいまし(^^)ノ。
<より詳しく知りたい方へ>
「単福」の読みかた、
最近の三国志作品をご覧になった方には
「ぜんふく」の方が馴染みのあることと思います。
中国歴史人名・用語として慣例でも「ぜんふく」に
なっていますね。
私も『三国志魂』(コーエーテクモゲームス刊)で
「徐庶」の人物紹介欄を執筆した時には
底本である立間祥介『改訂新版 三国志演義』
(徳間文庫、2006)と、中国歴史人名の
読み方の慣例にならい
「ぜんふく」という読みがなをつけています。
それがなぜ『孔明のヨメ。』では「たんふく」という
読み方にしているいるのか、ということなのですが。
理由はだいたい3つです。
(1)徐庶が単家(権勢の無い家)出身である、という
正史『三国志』裴松之注所引の『魏略』の記述
(「庶先名福、元単家子」)を基に、
「単家(たんか)」という読みに寄せた。
※「単家」の読みは諸橋『大漢和』・白川『字統』・藤堂&加納
『新漢和大字典』いずれも「たんか」でした。
(2)物語上「単なる福という名の男」という意味にも取れる偽名、
というニュアンスを強調したかった。
(3)現代における中国歴史人名に使われる「単(ぜん)」も、
当時の音(上古音)を調べたら「dhian」となるようで
「ぜん」よりも「たん」に音が近かった。
ちなみに、「ぜん」という音になるのは隋唐以降のよう。
※音は藤堂&加納『新漢和大字典』によるものですが
さらに中国現地の言語学の方まで手を伸ばすと
他の説もありそうな…?^^;
(古代中国語を専門で研究されている方
(Mag462さん/ ツイッターアカウント@Zyengio)から、
この判断は適切では無いというご指摘を頂きましたので
この部分は削除いたします…8/10追記・8/13お名前追加)
その理由については<軟らかく知りたい方へ>の
所をご参照下さい(8/13)
学術研究では「『今の所、この説が最有力』とは言えても
研究者として断言してしまうことは出来ない」というのが
基本的な考えです。
私は、史料や研究も出来るかぎり尊重したいと思いますが、
基本は「漫画家」です。
「ある程度史料を踏まえた後は、創作の部分を
優先させていただこう」とうことで、
今回は「たんふく」を選ぶことになった次第です。
(8/9 21:20追記)
上記にある「創作の部分」を具体的に言いますと、
「そのキャラクター的に、どう考えるか」
「それはどんな思想や世界観に裏打ちされているのか」
「あの緊張した状況下で、どれを選び口にするのか」…
などをその人の目線になって体感し・味わい、
彼がどう動くのかを想像し
来し方・行く末を考慮しながら
作者として物語上の演出を加える
という感じです。
一応、ここまで書きましたが、
「あー…どうしてもムリ。『ぜんふく』って読んじゃう」
という方は、お気になさらず読みやすいように読んで下さって
大丈夫ですよ。(^^)ノ
最終的には、楽しく読んで下さればそれでいいんです^^。
<作家の視点から>
ちなみに、
他の本はどうなんだろう…と思って
本棚にある三国志をいくつか並べてみました。
◎昔の小説は、「たんふく」が中心だった
・吉川英治『三国志』(吉川英治歴史時代文庫):たんふく
・横山光輝『三国志』(希望コミックス版・文庫版):たんふく
吉川先生・横山先生とも、調べたときに「ぜんふく」という読み方に
行き当たっていたかもしれませんが、
大衆が広く読めるように、と
読む人の「分かりやすさ」を優先して
「たんふく」という読み方を選ばれたのかも知れないなぁ…、
と想像してしまいます。
◎変化の予兆?
柴田錬三郎『三国志 英雄ここにあり』:せんぷく
現在の慶応大学中国文学科を卒業されているので、
「単」の読み方を中国文学的に捉え直し
あらためて付け直したのかもしれません。
◎映像作品は「ぜんふく」に
1983年放映人形劇三国志:ぜんふく
1992年アニメ版横山光輝三国志:ぜんふく
人形劇三国志の台本が、
中国文学者の権威である立間祥介先生の訳を
ベースにしたものでした。
人形劇は大変人気がありましたし
これが「ぜんふく」の印象を決定づけたのでしょう。
◎学術本でも「ぜんふく」が明記
1996年 立間祥介・岡崎由美
・土屋文子編訳刊行
『三国志演義大事典』:ぜんふく
こうして見ると、
「あー、なるほど。”ぜんふく”って読み方が
メジャーになるわなぁ…」
と思いました。
(8/13 22:45追記)
日本における三国志受容の歴史に詳しい方
(教団さん @Vitalize3K さん)から、
とても有意義な考察をいただきました。
せっかくなのでここでご紹介します。
「従来、”たんふく”が長らく主流で用いられており
吉川『三国志』や横山『三国志』にも採用されていましたが
その後の研究でその読み方は適切では無いと判断されたため、
研究者を中心に"ぜんふく"が使われるようになりました。
その結果、両方の読み方が共存するに至ったようです」
とのこと。
「たんふく」という読み方は
江戸時代から長く民衆の間で呼ばれてきたものだそうです。
『三国志』に一喜一憂しながら熱中していた
民衆の思いがしみついた呼び方だったんですね。
中には、「そもそも偽名使ってない派」もありまして
陳舜臣「秘本三国志」「諸葛孔明」
北方謙三「三国志」
王欣太「蒼天航路」
などは、そのまんま「徐庶」で通したりしてますね。
特に北方・王両氏の三国志は「偽名など必要なし!!」といった
すがすがしさを感じます(笑)。
◎「単福」という名の源流は
そもそも、徐庶の偽名「単福」という名は
『三国志演義』の著者である羅貫中が
正史『三国志』裴松之注所引の
『魏略』「庶先名福、元単家子」という
記述から採用したと言われています。
いくつかの本を見ると
「羅貫中は「単家」を単という姓の家と勘違いして
この偽名を付けたのだろう」と述べているのですが
私は「本当にそうなのかなぁ…」と思っておりまして。
「あれだけすごい構成の物語を
こしらえ上げた羅貫中が
そんなに簡単に間違うだろうか…?
単家の意味を調べて分かった上で、
題材として丁度良かったから
偽名の姓として採用したんじゃないのかなぁ…」^^;
と思ってしまうのです…。
「孔明のヨメ。」で「単家」という要素を強調したいのは、
「羅貫中のアレ、きっと気の利いた創作!
間違ってやったことじゃないと思うよー!」という
羅貫中へのリスペクトも含まれているのですよ…。
『三国志魂』書いている時に、めっちゃ実感したんですが
ホントに、羅貫中すごいんだよーーーー!!!!
みんな、『三国志演義』全部読んでーーーーー!!!!
できればー!できればでいいからーーーーー!!!!